ロデリックは姉妹マデラインがついに息を引き取ったことを告げ、二人はその亡骸を棺に納め地下室に安置する。この姉妹の死によって、ロデリックの錯乱は悪化していく。
往年の文豪、有名な作家たちが残した短編及び長編小説、手記や学説などの日本文学の名作を、高性能な音声合成での読み上げによる朗読で、オーディオブックを画像や動画を交えて作成し配信しています。気に入って頂けましたら、是非ともチャンネルの登録を宜しくお願い致します。
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■一部抜粋
この譚詩から生じたさまざまの暗示が私を一連の考えに導き、そのなかでアッシャーの一つの意見を明らかにすることができたことを、私はよく覚えている。
その意見をここに述べるのは、それが新奇なため(他の人々はそう考えている)よりも、彼が執拗にそれを固持したためである。
その意見というのは大体において、すべての植物が知覚力を有するということであった。
しかし彼の混乱した空想のなかでこの考えはさらに大胆な性質のものとなり、ある条件のもとでは無機物界にまで及んでいた。
私は彼の信念の全部、あるいはその熱心な心酔を説明する言葉を持たない。
が、その信念は(前にもちょっと述べたように)、彼の先祖代々の家の灰色の石と関連しているのだった。
彼の想像によると、知覚力の諸条件はこの場合では、これらの石の配置の方法のなかに、石を蔽うている多くの菌や、あたりに立っている枯木などの配置とともに、石そのものの配列のなかに、とりわけ、この配列が長いあいだ乱されずにそのままつづいてきたということと、それが沼の静かな水面に影を落しているということとのなかに、備わっているのである。
その証拠は、知覚力のあることの証拠は、彼の言うところでは(そしてそれを聞いたとき私はぎょっとしたが)、水や壁のあたりにそれらのもの独得の雰囲気がだんだんに、しかし確実に凝縮していることのなかに認められる、というのであった。
その結果は、幾世紀ものあいだに、彼の一家の運命を形成し、また彼をいま私が見るような彼、つまり現在の彼のようにしてしまったあの無言ではあるが、しつこい恐ろしい影響となってあらわれているのだ、と彼はつけ加えた。
このような意見はべつに注釈を必要としない。
だから私はそれについてはなにも書かないことにする。
私たちの読んだ書物、長年のあいだ、この病人の精神生活の大部分をなしていた書物、は、想像もされようが、この幻想の性質とぴったり合ったものであった。
二人は一緒にグレッセの『ヴェルヴェルとシャルトルーズ』、マキアヴェエリの『ベルフェゴール』、スウェデンボルグの『天国と地獄』、ホルベルヒの『ニコラス・クリムの地下の旅』、ロバート・フラッドや、ジャン・ダンダジネエや、ド・ラ・シャンブルの『手相学』、ティークの『青き彼方への旅』、カンパネエラの『太陽の都』というような著作を読みふけった。
愛読の一巻はドミニック派の僧エイメリック・ド・ジロンヌの“Directorium Inquisitorum”の小さな八折判であった。
またポンポニウス・メラのなかのサターやイージパンについての三、四節は、アッシャーがよく何時間も夢み心地で耽読していたものであった。
しかし彼のいちばんの喜びは、四折判ゴシック字体の非常な珍本、ある忘れられた教会の祈祷書、“Vigilioe Mortuorum secundum Chorum Ecclesioe Maguntinoe”を熟読することであった。
私はこの書物にしるしてある奇異な儀式や、それがこの憂鬱症患者に与えそうな影響などについて、考えないではいられなかった。
するとある晩、とつぜん彼はマデリン嬢の死んでしまったことを告げてから、彼女の亡骸を二週間(最後の埋葬をするまで)この建物の礎壁のなかにたくさんある窖の一つに納めておきたいという意向を述べた。
しかし、この奇妙な処置についての実際的な理由は、私などが無遠慮に口出しするかぎりでなかった。
兄としてこのような決心をするようになったのは(彼が私に語ったところでは)、死者の病気の性質が普通のものではないことや、彼女の医師の側の差し出がましい熱心な詮索や、一家の埋葬地が遠い野ざらしの場所にあることなどを、考えたからであった。
私がこの家に着いた日に、階段のところで出会った男の陰険な容貌を思い出したとき、大して害のない、また決して不自然でもない用心と思われることにたいして、しいて反対する気がしなかった、ということは私も否定しはしない。
アッシャーの頼みで、私はこの仮埋葬の支度を手伝った。
遺骸を棺に納めてから、私たちは二人きりでそれをその安置所へ運んで行った。
それを置く窖(ずいぶん長いあいだあけずにあったので、その息づまるような空気のなかで、持っていた火把はなかば燻り、あたりを調べてみる機会はほとんどなかったが)は小さくて、湿っぽく、ぜんぜん光線の入るみちがなく、この建物の私の寝室になっている部屋の真下の、ずっと深いところにあった。
その床の一部分と、入って行くときに通った長い拱廊の内面の全部とが、念入りに銅で蔽われているところをみると、それは明らかに遠い昔の封建時代には地下牢というもっとも悪い目的に用いられ、のちには火薬またはその他なにか高度の可燃物の貯蔵所として使用されていたものであった。
巨大な鉄製の扉も同じように銅張りになっていた。
その扉は非常に重いので、蝶番のところをまわるときには、異様な鋭い軋り音をたてた。
この恐ろしい場所の架台の上に悲しい荷を置いてから、二人はまだ螺釘をとめてない棺の蓋を細目にあけて、なかなる人の顔をのぞいてみた。
兄と妹との驚くほど似ていることが、そのとき初めて私の注意をひいた。
するとアッシャーは私の心を悟ったらしく、妹と彼とは双生児で、二人のあいだには常にほとんど理解できないような性質の感応があった、というようなことを二言三言呟いた。
しかし私たちの視線は長くは死者の上にとどまってはいなかった、畏怖の念なしに彼女を見ていることはできなかったからである。
青春のさかりに彼女をこのように棺のなかへ入れてしまったその病気は、すべてのはっきりした類癇性の病の常として、胸と顔とにかすかな赤みのようなものを残し、死人には実に恐ろしいあの疑い深くためらっているような微笑を、唇に残していた。
私たちは蓋をして螺釘をとめ、鉄の扉をしっかりしめてから、やっとの思いでこの家の上の方の、窖とあまり変らぬくらい陰気な部屋へたどりついた。
さて、痛ましい悲嘆の幾日かがすぎると、目立った変化が友の心の病気の徴候にあらわれてきた。
彼のいつもの態度は消えうせてしまった。
いつもの仕事もうちすてられ、または忘れ去られた。
彼は部屋から部屋へと、あわただしい、乱れた、あてのない足どりで歩きまわった。
蒼白い顔色はいっそうもの凄い色となった、が眼の輝きはまるで消えてしまった。
かつておりおり聞いたしゃがれ声はもう聞かれなくなり、極度の恐怖からくるおどおどした震え声が、いつも彼の話しぶりの特徴となった。
実際私は、彼の絶えず乱れている心がなにか重苦しい秘密とたたかっていて、その秘密を言いだすに必要な勇気を出そうともがいているのではなかろうか、とときどき考えた。
またときにはすべてをただ説明しがたい狂気の気まぐれと決めこんでしまわねばならないようなこともあった。
というのは、彼が聞えもせぬなにかの物音に耳をすましてでもいるように、非常に注意深い態度で長いあいだじっと空を見つめているのを見たからである。
このような彼の様子が私を恐れさせ、私に感染したって怪しむことはない。
私は彼自身の幻想的な、しかも力強い迷信の奇妙な影響が、少しずつではあるが確実に、自分にしのびよってくるのを感じた。
とくに、そのような感情の力を十分に経験したのは、マデリン嬢を地下牢のなかに納めてから七日目か八日目の夜遅く床についたときのことであった。
眠りは私の枕辺にもやって来なかった、そして時は刻々に過ぎてゆく。
私は全身を支配している神経過敏を理性で払いのけようと努めた。
自分の感じていることのまあ全部ではないとしてもその大部分は、この部屋の陰気な家具、吹きつのってくる嵐の息吹に吹きあおられて、ときどき壁の上をゆらゆらと揺れ、寝台の飾りのあたりで不安そうにさらさらと音をたてている、黒ずんだぼろぼろの壁掛け、の人を迷わすような影響によるものだと無理に信じようとした。
しかしその努力も無駄だった。
抑えがたい戦慄がだんだん体じゅうにひろがり、とうとう心臓の上にまったくわけのわからない恐怖の夢魔が坐った。
あえぎもがきながらこれを振いおとして、枕の上に身を起し、部屋の真っ暗闇のなかを熱心にじっと見つめながら、耳をそばだてると、なぜそうしたのか、本能の力がそうさせたというよりほかに理由はわからないが、嵐の絶え間に、長いあいだをおいて、どことも知れぬところから、低い、はっきりしない物音が聞えてきた。
わけのわからぬ、しかも堪えがたい、はげしい恐怖の情に圧倒されて、私は急いで着物をひっかけ(もう夜じゅう寝られないという気がしたから)、部屋じゅうをあちこちと足早に歩きまわって、自分の陥っているこの哀れな状態からのがれようと努めた。
こんなふうにして三、四回も歩きまわらないうちに、かたわらの階段をのぼってくる軽い足音が私の注意をひいた。
私にはすぐそれがアッシャーの足音であることがわかった。
間もなく彼は静かに扉を叩き、ランプを手にして入ってきた。
その顔はいつものとおり屍のように蒼ざめていた、がそのうえに、眼には狂気じみた歓喜とでもいったようなものがあり、挙動全体には明らかに病的興奮を抑えているようなところがあった。
その様子は私をぎょっとさせた、が、とにかくどんなことでも、いままで長く辛抱してきた孤独よりはましなので、私は彼の来たことを救いとして歓び迎えさえした。
「で、君はあれを見なかったのだね?」
しばらく無言のままあたりをじっと見まわしたのち、彼はふいにこう言い出した。
「じゃあ、あれを見なかったんだね?だが待ちたまえ!見せてあげよう。」
そう言って、注意深くランプに笠をかけてから、一つの窓のところに駆けより、それを嵐に向ってさっとあけはなった。
猛り狂って吹きこむ烈風は、ほとんど私たちを床から吹き上げんばかりであった。
実に大荒れの、しかし厳かにも美しい夜、また、そのもの凄さと美しさとではたとえようもない不思議な夜であった。
まさしく旋風がこのあたりにその勢いを集中しているらしく、風向きはしげしげと、また猛烈に変り、非常に濃く立ちこめている雲(それはこの家の小塔を圧するばかりに低く垂れていた)も、遠くへ飛び去ることなく、四方八方から互いにぶつかりあって疾走しながら飛んでくるその生命あるもののような速さを、認めることを妨げはしなかった。
#オーディオブック
#エドガーアランポー
#アッシャー家の崩壊
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この譚詩から生じたさまざまの暗示が私を一連の考えに導き、そのなかでアッシャーの一つの意見を明らかにすることができたことを、私はよく覚えている。
その意見をここに述べるのは、それが新奇なため(他の人々はそう考えている)よりも、彼が執拗にそれを固持したためである。
その意見というのは大体において、すべての植物が知覚力を有するということであった。
しかし彼の混乱した空想のなかでこの考えはさらに大胆な性質のものとなり、ある条件のもとでは無機物界にまで及んでいた。
私は彼の信念の全部、あるいはその熱心な心酔を説明する言葉を持たない。
が、その信念は(前にもちょっと述べたように)、彼の先祖代々の家の灰色の石と関連しているのだった。
彼の想像によると、知覚力の諸条件はこの場合では、これらの石の配置の方法のなかに、石を蔽うている多くの菌や、あたりに立っている枯木などの配置とともに、石そのものの配列のなかに、とりわけ、この配列が長いあいだ乱されずにそのままつづいてきたということと、それが沼の静かな水面に影を落しているということとのなかに、備わっているのである。
その証拠は、知覚力のあることの証拠は、彼の言うところでは(そしてそれを聞いたとき私はぎょっとしたが)、水や壁のあたりにそれらのもの独得の雰囲気がだんだんに、しかし確実に凝縮していることのなかに認められる、というのであった。
その結果は、幾世紀ものあいだに、彼の一家の運命を形成し、また彼をいま私が見るような彼、つまり現在の彼のようにしてしまったあの無言ではあるが、しつこい恐ろしい影響となってあらわれているのだ、と彼はつけ加えた。
このような意見はべつに注釈を必要としない。
だから私はそれについてはなにも書かないことにする。
私たちの読んだ書物、長年のあいだ、この病人の精神生活の大部分をなしていた書物、は、想像もされようが、この幻想の性質とぴったり合ったものであった。
二人は一緒にグレッセの『ヴェルヴェルとシャルトルーズ』、マキアヴェエリの『ベルフェゴール』、スウェデンボルグの『天国と地獄』、ホルベルヒの『ニコラス・クリムの地下の旅』、ロバート・フラッドや、ジャン・ダンダジネエや、ド・ラ・シャンブルの『手相学』、ティークの『青き彼方への旅』、カンパネエラの『太陽の都』というような著作を読みふけった。
愛読の一巻はドミニック派の僧エイメリック・ド・ジロンヌの“Directorium Inquisitorum”の小さな八折判であった。
またポンポニウス・メラのなかのサターやイージパンについての三、四節は、アッシャーがよく何時間も夢み心地で耽読していたものであった。
しかし彼のいちばんの喜びは、四折判ゴシック字体の非常な珍本、ある忘れられた教会の祈祷書、“Vigilioe Mortuorum secundum Chorum Ecclesioe Maguntinoe”を熟読することであった。
私はこの書物にしるしてある奇異な儀式や、それがこの憂鬱症患者に与えそうな影響などについて、考えないではいられなかった。
するとある晩、とつぜん彼はマデリン嬢の死んでしまったことを告げてから、彼女の亡骸を二週間(最後の埋葬をするまで)この建物の礎壁のなかにたくさんある窖の一つに納めておきたいという意向を述べた。
しかし、この奇妙な処置についての実際的な理由は、私などが無遠慮に口出しするかぎりでなかった。
兄としてこのような決心をするようになったのは(彼が私に語ったところでは)、死者の病気の性質が普通のものではないことや、彼女の医師の側の差し出がましい熱心な詮索や、一家の埋葬地が遠い野ざらしの場所にあることなどを、考えたからであった。
私がこの家に着いた日に、階段のところで出会った男の陰険な容貌を思い出したとき、大して害のない、また決して不自然でもない用心と思われることにたいして、しいて反対する気がしなかった、ということは私も否定しはしない。
アッシャーの頼みで、私はこの仮埋葬の支度を手伝った。
遺骸を棺に納めてから、私たちは二人きりでそれをその安置所へ運んで行った。
それを置く窖(ずいぶん長いあいだあけずにあったので、その息づまるような空気のなかで、持っていた火把はなかば燻り、あたりを調べてみる機会はほとんどなかったが)は小さくて、湿っぽく、ぜんぜん光線の入るみちがなく、この建物の私の寝室になっている部屋の真下の、ずっと深いところにあった。
その床の一部分と、入って行くときに通った長い拱廊の内面の全部とが、念入りに銅で蔽われているところをみると、それは明らかに遠い昔の封建時代には地下牢というもっとも悪い目的に用いられ、のちには火薬またはその他なにか高度の可燃物の貯蔵所として使用されていたものであった。
巨大な鉄製の扉も同じように銅張りになっていた。
その扉は非常に重いので、蝶番のところをまわるときには、異様な鋭い軋り音をたてた。
この恐ろしい場所の架台の上に悲しい荷を置いてから、二人はまだ螺釘をとめてない棺の蓋を細目にあけて、なかなる人の顔をのぞいてみた。
兄と妹との驚くほど似ていることが、そのとき初めて私の注意をひいた。
するとアッシャーは私の心を悟ったらしく、妹と彼とは双生児で、二人のあいだには常にほとんど理解できないような性質の感応があった、というようなことを二言三言呟いた。
しかし私たちの視線は長くは死者の上にとどまってはいなかった、畏怖の念なしに彼女を見ていることはできなかったからである。
青春のさかりに彼女をこのように棺のなかへ入れてしまったその病気は、すべてのはっきりした類癇性の病の常として、胸と顔とにかすかな赤みのようなものを残し、死人には実に恐ろしいあの疑い深くためらっているような微笑を、唇に残していた。
私たちは蓋をして螺釘をとめ、鉄の扉をしっかりしめてから、やっとの思いでこの家の上の方の、窖とあまり変らぬくらい陰気な部屋へたどりついた。
さて、痛ましい悲嘆の幾日かがすぎると、目立った変化が友の心の病気の徴候にあらわれてきた。
彼のいつもの態度は消えうせてしまった。
いつもの仕事もうちすてられ、または忘れ去られた。
彼は部屋から部屋へと、あわただしい、乱れた、あてのない足どりで歩きまわった。
蒼白い顔色はいっそうもの凄い色となった、が眼の輝きはまるで消えてしまった。
かつておりおり聞いたしゃがれ声はもう聞かれなくなり、極度の恐怖からくるおどおどした震え声が、いつも彼の話しぶりの特徴となった。
実際私は、彼の絶えず乱れている心がなにか重苦しい秘密とたたかっていて、その秘密を言いだすに必要な勇気を出そうともがいているのではなかろうか、とときどき考えた。
またときにはすべてをただ説明しがたい狂気の気まぐれと決めこんでしまわねばならないようなこともあった。
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このような彼の様子が私を恐れさせ、私に感染したって怪しむことはない。
私は彼自身の幻想的な、しかも力強い迷信の奇妙な影響が、少しずつではあるが確実に、自分にしのびよってくるのを感じた。
とくに、そのような感情の力を十分に経験したのは、マデリン嬢を地下牢のなかに納めてから七日目か八日目の夜遅く床についたときのことであった。
眠りは私の枕辺にもやって来なかった、そして時は刻々に過ぎてゆく。
私は全身を支配している神経過敏を理性で払いのけようと努めた。
自分の感じていることのまあ全部ではないとしてもその大部分は、この部屋の陰気な家具、吹きつのってくる嵐の息吹に吹きあおられて、ときどき壁の上をゆらゆらと揺れ、寝台の飾りのあたりで不安そうにさらさらと音をたてている、黒ずんだぼろぼろの壁掛け、の人を迷わすような影響によるものだと無理に信じようとした。
しかしその努力も無駄だった。
抑えがたい戦慄がだんだん体じゅうにひろがり、とうとう心臓の上にまったくわけのわからない恐怖の夢魔が坐った。
あえぎもがきながらこれを振いおとして、枕の上に身を起し、部屋の真っ暗闇のなかを熱心にじっと見つめながら、耳をそばだてると、なぜそうしたのか、本能の力がそうさせたというよりほかに理由はわからないが、嵐の絶え間に、長いあいだをおいて、どことも知れぬところから、低い、はっきりしない物音が聞えてきた。
わけのわからぬ、しかも堪えがたい、はげしい恐怖の情に圧倒されて、私は急いで着物をひっかけ(もう夜じゅう寝られないという気がしたから)、部屋じゅうをあちこちと足早に歩きまわって、自分の陥っているこの哀れな状態からのがれようと努めた。
こんなふうにして三、四回も歩きまわらないうちに、かたわらの階段をのぼってくる軽い足音が私の注意をひいた。
私にはすぐそれがアッシャーの足音であることがわかった。
間もなく彼は静かに扉を叩き、ランプを手にして入ってきた。
その顔はいつものとおり屍のように蒼ざめていた、がそのうえに、眼には狂気じみた歓喜とでもいったようなものがあり、挙動全体には明らかに病的興奮を抑えているようなところがあった。
その様子は私をぎょっとさせた、が、とにかくどんなことでも、いままで長く辛抱してきた孤独よりはましなので、私は彼の来たことを救いとして歓び迎えさえした。
「で、君はあれを見なかったのだね?」
しばらく無言のままあたりをじっと見まわしたのち、彼はふいにこう言い出した。
「じゃあ、あれを見なかったんだね?だが待ちたまえ!見せてあげよう。」
そう言って、注意深くランプに笠をかけてから、一つの窓のところに駆けより、それを嵐に向ってさっとあけはなった。
猛り狂って吹きこむ烈風は、ほとんど私たちを床から吹き上げんばかりであった。
実に大荒れの、しかし厳かにも美しい夜、また、そのもの凄さと美しさとではたとえようもない不思議な夜であった。
まさしく旋風がこのあたりにその勢いを集中しているらしく、風向きはしげしげと、また猛烈に変り、非常に濃く立ちこめている雲(それはこの家の小塔を圧するばかりに低く垂れていた)も、遠くへ飛び去ることなく、四方八方から互いにぶつかりあって疾走しながら飛んでくるその生命あるもののような速さを、認めることを妨げはしなかった。
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